新陰流というと柳生家が有名ですが、
心縁会で稽古する新陰流は
上泉伊勢守の高弟である疋田豊五郎の新陰流です。
肥後熊本細川藩に伝承されていました。
その後、昭和中期に相川学師範によって
三重県度会郡南伊勢町の山本篤先生に伝えられ
この系統が肥後・新陰流として
三重県や東京で現在も稽古されています。
肥後・新陰流と名乗っていますが、
正式な名称は「新陰流」です。
新陰流を名乗ると他の新陰流(柳生家に伝わったものなど)と
区別がつかないため、
肥後に伝わった新陰流という意味で
肥後・新陰流と名乗るようになりました。
肥後・新陰流兵法東京稽古会にて学び、
南伊勢町の山本篤先生にも何度か教えを頂きました。
平成三十年には南伊勢町五所ヶ浦で行われた剣祖祭にも参加。
念願だった剣祖への演武奉納が叶いました。
詳しいことは肥後・新陰流兵法 東京稽古会HPに記されていますので、
そちらを参考にしてください。
肥後・新陰流兵法 東京稽古会HP
https://sites.google.com/site/higoshinkageryutokyo/
また、疋田の弟子の 真里谷清雲が興した流派
「心影疋田文五郎流」が越後村松にも伝播していました。
この流儀は下野國黒羽藩に伝わり、目録が確認できます。
そこには肥後・新陰流と同じくエンピ、三学などの技法があり、
この越後でも同じような稽古をしていた人がいたと思われ、
とても嬉しく思いました。