村松藩と心形刀流


村松藩は寛永十六年(1629)に村上藩主 堀直寄の次男 堀直時が

安田三万石を与えられたことから始まります。

二代藩主 堀直吉の時代に領地替えがあり、

陣屋を安田から村松に移したことから、

正式な村松藩が始まりました。

明治四年の廃藩置県まで代々堀家がこれを治めました。

 

心形刀流の開祖 伊庭是水軒の門人に越後國堀丹波守の名前があります。

伊庭是水軒は天和二年(1682)に心形刀流を興しているので、

この堀丹波守は三代 堀直利かもしれません。

古くから村松藩との関わりが伺えます。

 

その後の村松藩主は代々心形刀流の教えを受けていたようです。

五代藩主 堀直尭は四代 伊庭八郎冶秀直に学び、

宝暦六年に印状を受けた記録が残っています。

六代、七代は二人とも堀左京亮を名乗ったようですが、

平戸に残る史料にこの名が二名確認できます。

これは六代 堀直教と七代 堀直方のことでしょうか。

八代藩主 堀直庸は弟で後の九代藩主堀直央と共に六代 伊庭八郎治秀長に学びました。

二人とも免許を受けたようです。

九代藩主 堀直央は武芸に優れ様々な剣術を学び、

後に奥山現想神伝流を創始しています。

 

心形刀流家元の五代 伊庭軍兵衛秀矩は

村松藩士 林某の子が養子に入り、伊庭家を継いだことが解っています。

四代 伊庭八郎治秀直が早逝した際、

村松藩からのなんらかの働きかけがあったように思われます。

 

この五代目から村松藩士 速水瀧右衛門忠郷が免許を受け、

藩領内で道場を開き、多くの藩士を指導しました。

以後、村松藩内で心形刀流が継承されていくこととなります。

速水家が代々受け継ぎ、幕末まで続きました。

 

村松の郷土資料館には心形刀流の目録等が所蔵されており、

かつての隆盛を窺うことができます。